毛利敬親(もうりたかちか)
長州藩第13代藩主。第12代藩主毛利斉広の養子。
生没年、文政2年(1819年)~明治4年(1871年)。享年53。
第12代藩主毛利斉広に跡取りがいなかったため、養子となり長州藩主となります。当時の長州藩は飢饉や洪水などの影響で財政難に陥っていました。敬親は村田清風に藩政改革を一任。財政は好転します。これが幕末長州藩の礎になったといわれています。「そうせい候」と揶揄された敬親でしたが、人物を見抜く目があり、認めた人物のすることには一切口をはさみませんでした。わずか11歳の吉田松陰の講義を受けたという逸話も残っています。
第1次長州征伐の際は、幕府に恭順を示し戦いを避けます。明治2年(1869年)の版籍奉還の際は抵抗すること無く署名し、これにより他藩の藩主も追従するように署名。廃藩置県は少ない抵抗で完遂されます。
養嗣子の元徳に家督を譲ったあと、明治4年(1819年)の山口藩庁にて死去。享年53歳。
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