吉田松陰の妹・杉文(楫取美和子)の物語|2015年大河ドラマ「花燃ゆ」

杉梅太郎(すぎうめたろう)

 杉百合之助・滝夫妻の長男。後に民治。諱は修道。
 生没年、文政11年(1828年)~明治43年(1910)。享年83。

 

 文政11年(1828年)1月15日、長門国萩松本村で生まれます。幼い頃から書に親しみ、弟の松陰とともに叔父の玉木文之進のもとで学問を学びます。
 嘉永元年(1848年)、藩校・明倫館に入ります。
 その後、藩の仕事に就くようになり、嘉永6年(1853年)、浦賀へ黒船が来航した際は、江戸の警備に赴任します。しかし、松陰が米国艦密航未遂事件を起こすと帰国します。
 獄中の松陰を物心両面で支え、松陰が杉家で松下村塾を開くとこれを援助します。
 松陰が江戸で処刑されると、藩の職務を一時的に解かれますが、能力の高さを認められていたため、すぐに復帰します。
 文久3年(1863年)には御蔵元役所本締役、元治元年(1864)年には諸郡仕組方兼郡奉行所本締役を務めます。しかし、藩政府が俗論党に占められると免職させられます。
 慶応元年(1865年)に正義党が藩の政権を握ると復職。慶応3年(1867年)には代官に出世します。
 明治2年(1869年)には、藩主から”民治”の名を賜ります。これは民政に尽くしたことにより与えられたものです。

 

 廃藩置県後は山口県に出仕します。山口県権典事や第3大区長などを務め、明治9年(1876年)退職します。
 明治13年(1880年)に松下村塾を再興し、子どもたちの教育にあたるようになります。
 妻・亀との間に一男三女をもうけ、長女・豊子は乃木希典の弟で玉木文之進の養嗣子となった玉木正誼(たまきまさよし)と結婚します。二女・滝子は相次郎を婿に迎えます。その息子が実業家の杉道助です。長男・小太郎は吉田家に養子に入り、その跡を三女・道が継ぎます。
 明治43年(1910年)没、享年83歳。

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