杉百合之助(すぎゆりのすけ)
杉七兵衛常徳の長男。本名、常道。号は恬斎、字は伯兪。
生没年、文化元年(1804年)~慶応元年(1865)。享年62。
吉田松陰、杉文の父。
幼い頃から論語などの書に親しみ、無類の読書好きに育ちます。
長州藩士となるも、家格は無給通組(石高26石)のため、農業をしながら生計を立てます。
天保3年(1830年)に記録御次番役となり、翌年に呉服方に就きます。
熱心な勤王家で、子の松陰の思想にも影響を与えたといわれています。
松陰が松下村塾を開くようになると、長男民治とともに最初の生徒になったといいます。
安政6年(1859年)、松陰が処刑されると、百合之助も責任を取らされて藩の職務を罷免されてしまいます。しかし、松陰の遺した留魂録を読むと、感動し、松陰を褒め称えたといいます。
文久3年(1863年)に国相府内用方になり、盗賊改方を兼務します。
慶応元年(1865年)没、享年62歳。