金子重輔(かねこしげのすけ)
長州藩の志士。重之輔・重之助・重輔(じゅうすけ)とも。
生没年、天保2年(1831年)~安政2年(1855年)。享年25。
萩の染物屋に生まれ、成長すると江戸に出て萩藩邸に仕えるようになります。
儒者・鳥山新三郎(とりやましんざぶろう)の江戸の私塾で松陰を知り、深く感銘を受けます。
松陰と子弟の契りを結び、松陰も重輔の純粋さを評価しました。
安政元年(1854年)、松陰の密航に連れ添いますが失敗。松蔭は野山獄へ送られますが、出自が武士でない重輔は岩倉獄に送られます。
重輔は劣悪な環境に苦しみそのまま獄中で病死。享年25歳でした。松蔭は深く悲しみ、野山獄で食費を切り詰め、金百疋を遺族に送ったといいます。