吉田松陰の妹・杉文(楫取美和子)の物語|2015年大河ドラマ「花燃ゆ」

文と久坂玄瑞が結婚する

松陰、玄瑞を気に入り、妹・文と結婚させたいと思う

 吉田松陰は松下村塾の弟子の中でも血気盛んな玄瑞をとくに気に入ります。玄瑞が幼くして家族を失った孤独な身であると知ると、妹の文と結婚させたいと思うようになります。松陰と交流のあった勤王僧・月性(きんのうそう・げっしょう)は、文を桂小五郎の妻にするよう勧めていたといいます。桂小五郎も玄瑞と同様、長州藩の若き秀才と知られていましたが、最終的には、松陰は玄瑞の才能を高く評価したのでした。このようなことから松陰は文に玄瑞との結婚を強く勧めました。

 

当初、玄瑞は文との結婚に乗り気ではなかった

 一方、玄瑞に対しては、松下村塾の年長者である中谷正亮(なかたにしょうすけ)が、文との縁談を持ちかけます。しかし、玄瑞はあまり乗り気ではなく、どうやら、文の容姿が好みではなかったといわれています。断ろうとする玄瑞に中谷は立腹し、「君らしくもない。君は色で妻を選ぶのか」と詰め寄ります。これには玄瑞も言い返せず、縁談を承諾したといいます。

 

松陰の妹・文が久坂玄瑞と結婚する

 かくして、松下村塾に入門した久坂玄瑞は、松陰の妹・文と結婚することになります。安政4年(1857年)12月5日、玄瑞18歳、文15歳のことでした。
 結婚に際して、松陰は文に「文妹久坂氏に適く」という詩文を送ります。そこには、「玄瑞が天下の英才であるのに対し、文はまだ未熟で劣っているのは確かである。しかし、人は自ら努力しないことこそを憂うべきだ。努力し勤めれば成らないことはない」という一文につづけて、立派な妻として大成するための助言が列挙されていたのです。

 

新婚の同居生活は長く続かない

 結婚後、玄瑞は杉家に同居します。しかし、安政5年(1858年)2月、玄瑞は江戸へ遊学してしまい、その後、江戸と京都で国事にあたるようになります。安政6年(1859年)2月、玄瑞は萩に帰国しますが、すぐに明倫館の官費生として寄宿生活を送るようになり、この期間も文と一緒に暮らすことはありませんでした。

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