久坂玄瑞(くさかげんずい)
長州藩士。萩藩医・久坂良迪の三男。幼名は秀三郎。
生没年、天保11年(1840年)~元治元年(1864年)。享年24。
少年期に母、兄、父を立て続けに亡くし、15歳で天涯孤独となります。松下村塾で学び、高杉晋作と並び”双璧”と称されます。
玄瑞18歳のときに15歳の文と結婚します。しかし、玄瑞は政治運動に忙しく家庭を顧みることはほとんどありませんでした。
吉田松陰の死後、遺志を受け継ぎ、攘夷運動を先導します。
元治元年(1864年)の禁門の変で自刃。享年24歳。