玉木彦介(たまきひこすけ)
玉木文之進の長男。諱は正弘。
生没年、天保12年(1841年)~慶応元年(1865)。享年25。
天保12年(1841年)5月17日、萩松本村で生まれます。吉田松陰や杉文のいとこにあたります。
安政2年(1855年)に元服すると、松陰から「士規七則」を贈られます。士規七則は、簡潔にまとめられた武士道の神髄のようなもので現代にも継がれています。
文久3年(1863年)、長州藩の世子・定広(のちの毛利元徳)の近侍となります。禁門の変の際に近侍を辞め、御楯隊に入ります。
慶応元年(1865年)1月、長州藩の内戦に参加し、藩軍と戦い負傷。同月21日、吉敷郡小郡の海善寺で死去。25歳でした。