吉田松陰の妹・杉文(楫取美和子)の物語|2015年大河ドラマ「花燃ゆ」

長州藩尊王攘夷派の躍進

英国公使館焼き討ち

 文久2年(1862年)11月、江戸で久坂玄瑞は高杉晋作と合流します。高杉は外国人の襲撃計画に誘いますが、玄瑞はそのような無謀な振る舞いをせずに正々堂々と攘夷を実行するべきだと反対します。2人は激しく議論しますが、井上聞多(いのうえもんた)が上手く間に入り、結局玄瑞が受け入れます。玄瑞、晋作を含めた長州藩士11名は襲撃を決行することになりました。しかし、報せを聞いた長州藩毛利定広(もうりさだひろ・長州藩の世子)や三条実美らの説得により中止にとなりました。
 しかし、その11人は政治結社の御楯組(みたてぐみ)を結成します。攘夷血盟書を作成し、12月、江戸・御殿山に建造中の英国公使館焼き討ちを決行しました。

 

外国船砲撃を実行

 文久3年(1863年)1月27日、玄瑞は京都・東山の翠紅館(すいこうかん)で諸藩の尊王攘夷派と会合します。この会合には、長州藩の玄瑞、寺島忠三郎(てらしまちゅうざぶろう)、佐々木男也(ささきおなり)、熊本藩の宮部鼎蔵、土佐藩の武市瑞山(たけちずいざん)、平井収二郎、対馬藩の多田荘蔵(ただしょうぞう)、津和野藩の福羽文三郎、水戸藩の梶清次右衛門(かじせいじえもん)が参加しました。
 2月、玄瑞は寺島と熊本藩の轟武兵衛(とどろきぶへえ)とともに関白の鷹司輔熈(たかつかさすけひろ)邸を訪れ、建言書(上役に申し立てる意見を記した文書)を提出します。その中で攘夷(外敵を追い払う)期日の決定、言路洞開(げんろとうかい、対話で道を開くこと)を訴えます。さらにもし願いをききいれてもらえないなら、三百余人の同志が決起するだろうと威圧します。これを機に朝廷が将軍・徳川家茂の上京を命じ、家茂は攘夷期限を5月10日とすると上奏します。
 このとき玄瑞はすでに長州に帰藩し、関門海峡を通航する外国船を砲撃する準備を始めました。下関・光明寺を本拠地とし、50人の同志で光明寺党を結成します。これが奇兵隊の前身となります。玄瑞は中山忠光(なかやまただみつ)を首領とし、これに藩も加わって、5月10日から外国船砲撃を実行したのでした。

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