吉田松陰の妹・杉文(楫取美和子)の物語|2015年大河ドラマ「花燃ゆ」

花燃ゆ年表

年号(西暦) 事柄 関連
天保元年(1830) 松陰、杉百合之助の二男として誕生。
天保2(1831) 長州藩で天保の大一揆。
天保5(1834) 松陰、叔父吉田大助の仮養子になる。
天保6(1835) 松陰、吉田大助の病死により吉田家の家督を継ぐ。
天保8(1837) 大塩平八郎の乱。モリソン号事件。
天保9(1838) 松陰、家学教授見習いとして藩校明倫館に出勤。
天保10(1839) 松陰、明倫館で初めて家学を講義。 蛮社の獄。アヘン戦争。
天保11(1840) 松陰、藩主毛利敬親に「武教全書」を講義。 長州藩、藩政改革に着手。
天保13(1842) 松陰、叔父玉木文之進の松下村塾に学ぶ。
天保14(1843) 文、杉家の四女として誕生。
弘化3(1846) 松陰、長沼流兵学の免許を受ける。 孝明天皇即位。米国軍艦、浦賀に来航。
嘉永元年(1848) 松陰、家学の独立師範となる。
嘉永2(1849) 松陰、藩命により北浦沿岸の防備を巡視。 幕府、諸藩に海防強化令を布告。
嘉永3(1850) 松陰、九州遊歴に出発。 太平天国の乱。
嘉永4(1851) 松陰、兵学修行のために江戸に赴く。松陰、佐久間象山らに入門。
松陰、宮部鼎蔵とともに相模、安房沿岸を視察。松陰、関所手形を持たず宮部と東北遊歴に出発。
嘉永5(1852) 松陰、藩命により萩に帰郷、脱藩亡命の罪により士籍剥奪される。
嘉永6(1853) 松陰、10年間の諸国遊学許可を得て近畿遊歴後、江戸に着く。松陰、浦賀で黒船を見る。松陰、ロシア行きを図り長崎へ赴くも失敗。 ペリー艦隊、浦賀に来航。ロシア艦隊が長崎に来航。
安政元年(1854) 松陰、下田で金子重輔とともに米艦乗り込みを図り失敗、自首し獄につながれる。 日米和親条約締結。
安政2(1855) 松陰、出獄して生家で蟄居となる。
安政3(1856) 松陰、杉家の幽囚室で講義を開始。 アロー号事件。
安政4(1857) 松陰、杉家の小舎を塾舎に改修、塾生と共同生活を開始。文、久坂玄瑞と結婚する。 ハリス、将軍家定と会見。
安政5(1858) 松陰、塾生と幕府老中間部詮勝襲撃を画策、再び野山獄に投獄される。 日米修好通商条約調印。安政の大獄はじまる。
安政6(1859) 松陰、江戸に護送され、伝馬町獄舎で斬刑に処せられる。
万延元年(1860) 桜田門外の変。
文久2(1862) 玄瑞ら長井雅楽の失脚に成功、藩論を尊皇攘夷に転換させる。
文久3(1863) 玄瑞ら光明寺党結成、外国船砲撃を実行する。
元治元年(1864) 玄瑞、禁門の変にて自刃する。 禁門の変。 4カ国艦隊の下関攻撃。第一次幕長戦争。
慶応元年(1865) 晋作、功山寺で挙兵。長州、正義派政権誕生、藩の実権を握る。 文、毛利家の侍女となる。
慶応2(1866) 薩長同盟。第二次幕長戦争(四境戦争)。
慶応3(1867) 王政復古の大号令。
明治元年(1868) 戊辰戦争。五箇条の御誓文。
明治7(1874) 楫取素彦、群馬県令となる。
大正元年(1912) 楫取素彦、死去する。
大正10年(1921) 楫取美和子(杉文)、死去する。