吉田松陰の妹・杉文(楫取美和子)の物語|2015年大河ドラマ「花燃ゆ」

松陰、伝馬町獄で斬首される

安政の大獄に連座する

 井伊直弼は日米修好通商条約の調印後、いっせいに反対派の弾圧を始めました。いわゆる安政の大獄です。吉田松陰は勤王家・梅田雲浜との密議、京都御所内で見つかった落とし文が松陰のものではないかと疑われます。間部詮勝暗殺計画のことは知られませんでしたが、安政6年(1859年)4月、松陰は安政の大獄に連座し、江戸へ送還されることになります。

 

送還前日、家族や塾生に別れを告げる

 移送前日の5月24日、松下村塾の塾生でもある獄吏(監獄の役人)の福川犀之助(ふくがわさいのすけ)の計らいで、松陰は杉家に帰宅することができます。このことにより後に犀之助は10日間の謹慎処分を受けます。杉家に帰宅した松陰は、家族や塾生に別れを告げます。久坂玄瑞は松陰と絶好していましたが、この時に師弟関係を回復します。

 

評定所での審理が行われる

 6月24日、松陰は江戸に到着、7月に入ると評定所で審理が始まります。梅田雲浜との密議や落とし文の疑いは晴れます。しかし、松陰は幕府からの今の世の中をどう思うかという質問に対して、幕府が知らなかった間部詮勝暗殺計画のことを自供してしまいます。これにより、伝馬町獄に投じられてしまうのです。

 

死を覚悟した松陰は「留魂録」を遺し、斬首される

 伝馬町獄で松陰は死を覚悟し、獄中で「留魂録」の執筆を始めます。=>吉田松陰『留魂録』(外部サイト)
 留魂録には、幕府の取り調べの様子や高杉晋作や久坂玄瑞といった松下村塾の同志への遺言が書かれています。特に冒頭の「身ハたとひ 武蔵の野辺に朽ぬとも 留置まし大和魂」は辞世の句としても有名です。
 留魂録は10月26日の夕方に完成します。
 そして、その翌日、10月27日、松陰は伝馬町獄で斬首されます。29歳のことでした。

 

兄・梅太郎の一時失脚

 兄・梅太郎(後の民治)は松陰が処刑されるや連座し失脚します。後に梅太郎は役人として目覚ましい成果をあげ、藩主から民治の名を与えらることになります。

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