吉田松陰の妹・杉文(楫取美和子)の物語|2015年大河ドラマ「花燃ゆ」

松陰、老中暗殺を計画する

幕府の無勅許による日米修好通商条約に憤慨する

 安政5年(1858年)6月19日、大老井伊直弼がアメリカとの日米修好通商条約を締結します。外国嫌いであった孝明天皇は強く攘夷を主張していたため、井伊直弼は勅許無しで強行したのでした。これに吉田松陰は激しく怒り、将軍こそ天下の逆賊と幕府を非難します。

 

老中・間部詮勝の暗殺を企てる

 11月6日、松陰は松下村塾の塾生らと、老中・間部詮勝(まなべあきかつ)を暗殺する計画を立てます。詮勝は井伊直弼の手先として条約調印の反対派を弾圧を行っていたのでした。松陰は計画の表明とともに、長州藩に武器弾薬の借用を願い出ます。これには藩も驚き、弟子の久坂玄瑞、高杉晋作や桂小五郎らも異議を唱えます。それでも、幕府が日本最大の障害だと、倒幕を持ちかけますが、受け入れられるどころか、危険思想の持ち主だと疑われます。まもなく、松陰は自宅謹慎を命じられ、12月26日、再び野山獄に投獄されます。

 

玄瑞、松陰から絶交を言い渡される

 玄瑞は、間部詮勝の暗殺計画に反対したときに、松陰から絶交を言い渡されました。この時玄瑞は、文と結婚していましたが、明倫館で寄宿生活を送っていました。松陰と絶好していたのが、杉家に帰りづらかった一因であったと考えられるでしょう。

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松陰・文の誕生
吉田松陰は長州藩士・杉百合之助、母・滝の二男として、杉文は四女として生まれます。文が生まれたのは松陰が14歳のときでした。
松陰、九州遊歴に発つ
吉田松陰は西洋兵学などの見聞を広めるために九州遊歴に出発します。
松陰、江戸に遊学、佐久間象山と出会う
吉田松陰は江戸に遊学し、佐久間象山と出会います。
松陰、宮部鼎蔵と東北遊学へ
吉田松陰は間宮林蔵と東北に遊学します。しかし、軽率な行動が罪に問われてしまいます。
松陰、海外へ密航を試みる
吉田松陰は黒船を視察し最新の文明に衝撃を受けます。なんとしても西洋の文明に触れてみたいと思った松蔭は海外への密航を企てます。
松陰、杉家の敷地で松下村塾を開く
野山獄に収容された松蔭は、囚人を相手に授業を行います。出獄後、杉家で松下村塾を開塾します。
文と久坂玄瑞が結婚する
吉田松陰の妹・杉文は、松下村塾の塾生である久坂玄瑞と結婚します。
松陰、伝馬町獄で斬首される
井伊直弼は日米修好通商条約の調印後、いっせいに反対派の弾圧を始めました。いわゆる安政の大獄です。吉田松陰も反対派の1人として連座させられました。
玄瑞、松陰の遺志を継ぐ
吉田松陰の死後、松下村塾塾生の久坂玄瑞が尊王攘夷の遺志を継ぎ、奔走します。
長州藩尊王攘夷派の躍進
長州の藩論が尊王攘夷に変わると、久坂玄瑞や高杉晋作らが中心となり、活動を繰り広げます。
玄瑞、禁門の変にて死す
会津藩と薩摩藩を中心とした公武合体派のクーデターにより長州藩は窮地に追い詰められます。長州藩軍は京へ進発し禁門の変が起こります。
長州征討軍、長州から撤退する(第一次幕長戦争)
禁門の変を起こした罪により、朝廷は長州征討を宣言します。
晋作、功山寺で挙兵する
長州の内部抗争から逃れた高杉晋作は、残った諸隊を説得し、功山寺で挙兵します。
第二次幕長戦争始まる
幕府は長州の征討を再度宣言します。長州藩は藩政府改革を実施し、西洋式への軍制改革を行い征討に備えます。
第二次幕長戦争は長州の圧勝におわる
幕府の大島口への砲撃を皮切りに、長州藩の各藩境で戦闘が勃発します。
毛利家の守役となり、名を美和子と改める
夫・久坂玄瑞を禁門の変で亡くした文は、毛利家の守役となります。このころ名を美和子と改めたといわれています。
楫取素彦、群馬県令となる
杉美和子(杉文)の姉・寿の夫である楫取素彦が群馬県令に就任します。
萩の乱
前原一誠は郷里の人々の不遇を見捨てられず、萩で明治政府に対する反乱を起こします。
美和子、楫取素彦と再婚する
群馬県令・楫取素彦は、亡くなった妻・寿の妹である美和子(文)と結婚します。
素彦、富岡製糸場の存続のために奔走する
楫取素彦が群馬県令を勤めているなか、群馬県富岡の製糸工場、富岡製糸場は存続の危機にさらされます。
晩年を防府で過ごす