吉田松陰の妹・杉文(楫取美和子)の物語|2015年大河ドラマ「花燃ゆ」

松陰・文の誕生

松陰、下士の二男として生まれる

 文政13年(1830年)8月4日、吉田松陰は長州藩士・杉百合之助(すぎゆりのすけ)、母・滝の二男として、萩城下の松本村で生まれます。幼名は虎之助、後に大次郎、寅次郎などと名を改めます。
 杉家は下士の身分である”無給通(むきゅうどおり)”で、禄高は二十六石でした。それだけでは食べていけないので、半士半農の生活をしていました。松陰も幼いころは農作業を手伝っていたといわれています。
 百合之助は、祖父・杉七兵衛の影響で筋金入りの読書好きで、杉家は書籍で溢れかえっていたといいます。そのような環境で、松陰も文も幼い頃から書に触れて育っていきました。また、百合之助は熱心な勤王家であり、それが松陰の生き方に多大な影響を与えたのでした。

 

6歳で吉田家の家督を継ぐ

 天保5年(1834年)、5歳の時に叔父藩士・吉田大助の仮養子となります。吉田家はの山鹿流兵学師範であり、松陰はこのころから兵学の厳しい教育を受けてきました。しかし翌年、大助が29歳で病死すると、6歳で吉田家の家督を相続し、同じく叔父の玉木文之進(たまきぶんのしん)が開いた松下村塾で兵学を学ぶようになります。玉木の授業はかなりのスパルタ教育だったらしく、ここでも松陰は厳しく指導され、松陰もそれに応えるように勉学に励むのでした。
 松陰が勤勉さがあらわれるエピソードがあります。兄・梅太郎(後の民治)が元旦に1日だけ学問を休もうと提案します。しかし、松陰は「今日という日は今日限りで消えてゆくもの。無駄にはできない」と言って休まず読書にふけったといいます。

 

11歳で藩主・毛利敬親に講義する

 天保9年(1838年)1月、松陰が9歳のとき、兵学の教授見習いとして藩校・明倫館(めいりんかん)に出仕します。11歳のころ、長州藩主・毛利敬親(もうりたかちか)の御前で兵学書「武教全書」の一節を講義します。この御前講義の出来栄えが見事だったので、敬親に藩の将来を背負って立つ存在だと、その才能が認められます。以降、敬親はたびたび松陰をよんで講義させました。敬親は松陰を「儒者の講義はありきたりの言葉ばかりが多く眠気を催させるが、松陰の話を聞いていると自然に膝を乗り出すようになる」と言ったといいます。

 

妹・文の誕生

 天保14年(1843年)、杉家の四女として、文が生まれます。松陰14歳のときでした。文という名前は叔父玉木文之進から一字をとって与えられたものです。これには、暇があれば読書に励んで文の名に恥じぬ人になってほしいという思いがこめられていました。

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